

「阪神淡路大震災から31年目の朝」
あの日の朝は、寒かった。
そして、ひどく慌ただしかった。
3人の幼い子どもを起こし、
胸の奥がざわざわしたまま、急いで着替えをさせた。
余震が怖くてたまらなかった。
震源地付近の震度はぽっかりと空白で、出ていなかった。
夫は仕事に行くと言う。
車で新御堂を渡って。
「仕事などできるはずないのに、どうして?」
そう思ったが、行ってみないと分からない、という返事だった。
少し離れた所に住む母が来てくれ、
不安な気持ちのまま、一日中TVを見て過ごした。
買物にも走った。
残り少ない棚から、食べ物を選んだ。
伊丹の駅は押しつぶされ、
阪神高速は倒れ、
神戸は火事と倒壊で、目を覆いたくなる光景だった。
大きな余震が、何度も続いた。
昨夜、神戸市東遊園地では、追悼の炎がともされた。
灯りの文字は「つむぐ」
昨年の30年の節目を過ぎ、追悼のローソクを立てる竹筒が減っているという。
そして、17日の朝を迎えた。
6,434人の生きたかったはずの未来を、
自分は今日も生きている。
地震の体験と、その怖さ。
そして、生き延びるための備えの大切さ。
生きている限り、語り続けなければならないと思う。
いつ、どこで、どんな地震が起こっても
生き延びる手立てを、日頃から想像しておくこと。
たとえば、
・昨日の首都圏のように電車が止まり、人々が滞留しているときに地震が起こったら?
・デイサービスで入浴介助している最中だったら?
・家族がそれぞれの職場や学校に出ている時間帯だったら?
・遠く離れた実家で地震が起こったら?
・旅行先で被災したら?
考え始めると、
備えなければならないことが、次々と浮かんでくる。
せめて、今日一日は、
さまざまな人と、さまざまな場面を想像しながら、
「もしも」の話をする日にしたい。
1995年(平成7年)1月17日、
阪神淡路大震災の日。

手提げの中には、
「ペンライト・飴ちゃん・水・ホイッスル」