

佐賀関の大火について
自分には、佐賀関にほんの少しの縁がある。
連れ合いだった人の親族がいて、
一度だけ墓参りに行ったことがある。
佐賀関は、海の香りの濃い漁師町だ。
港にはたくさんの船が並び、潮風が鼻にまとわりつく。
「関サバ」「関アジ」といえば、地名がついたブランド魚。
それはもう、本当においしい。
自分が訪ねたのは30年くらい前。
1人暮らしのおばあちゃんがいて、
家のすぐそばには小学校があった。
家の裏山は町の墓場で、
くねくねとした坂を、道と呼べない墓石の間を登った。
夏の日差しの中、しんどがる子どもたちを励ましながら、
「はぐれたら戻れないなあ」と思っていた。
家に向かう道は、隣の家との隙間という所もあり、
漁港に張り付くように家々が広がっていた。
今回の大火で、
空き家が多かったことが、延焼の一因だと報じられていた。
自分と縁のある人がいた地区は燃えていなかったが、
その家も、とうに空き家になっているはずだ。
長崎でも、尾道でも、自分の住む町でも、
空き家が目立つ。
「なんとかしないと」と、
どこか漠然とした不安を抱えている。
空き家は、更地にすると固定資産税が高くなる。
昔の古い家に住みたい人は少なく、買い手もつかない。
子どもたちは日本中に散らばり、帰るあてもない。
誰にも管理されない家は、どんどん朽ちていく。
自分の地区でも、老夫婦世帯が多い。
どちらかが亡くなると、残された人は施設などに入り、
家は空き家になる。
空き家が増えると、町の活気も少しずつ消えていく。
使わなくなった家を解体して更地にし、
国に返せるような仕組みがあればいいのにと思う。
けれど、周りがみんな更地になって、
ぽつんぽつんと家が残る風景を想像すると、
それもまた、寂しい。
懐かしい町の名前を耳にして、
いろんなことを取り留めもなく考えてしまった。
日本はどうなっていくのがいいんだろう。
