よっしいブログ  「虐待について」

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「虐待について」

 

4月27日のニュース

大阪・岸和田市の障がい者施設で虐待があった。

重い知的障がいのある50歳の入所者に、4人が暴行を加えていた。

その男性は亡くなっており、暴行との関連は不明らしい。

 

障がい者・高齢者・児童の福祉事業を27施設を展開している大きめの社会福祉法人である。

事件が起きた施設は定員が99名。

入所者3~6人に1人の支援員が必要だから、17~33人が常時働いていたことになる。

99名なので3つぐらいに担当を分けていたとして、1グループに6~11人働いていただろう。

夜勤を除くと5~10人、入浴介助を除くと、3~8人、その他遅出・早出などで人員が薄くなると、日中は2~5名だろうか。

意外に職員集団は小さく閉鎖的で仕事量は膨大だ。

 

業務は山積みである。

例えば入浴だったら、着替えの準備、誘導、脱衣、入浴介助、着衣、誘導、洗濯乾燥、衣類を戻す、風呂場の掃除まで。

食事だったら、配膳、誘導、食事介助、服薬管理、下膳、誘導、歯磨き、食堂掃除、これが日に3回。

その他、排泄、睡眠、シーツ交換や掃除があり、加えて突発的なこと(嘔吐、失禁、病変など)が起こる。

加えて本来の仕事である入所者とのコミュニケーションがあるのだ。

働く人は、一日中業務をこなしまくらねばならない。

 

業務に追われると、余裕がなくなる。

余裕がなくなると、イライラしてくる。

精神的に追いつめられると、人はモラルが守れなくなる。

グレーな行動も初めは「大変なことをしてしまった」と思うのだが、

止めてくれたり、相談したりする仲間がいないと、慣れて無関心になってくる。

チームが見て見ぬふりをする風土であれば、グレーな行為はエスカレートしてくる。

面白がってあおる仲間がいると、虐待は決定的になり、

常習化し、限度を超え、相手が死んでも無関心は続く。

 

虐待は、

働く人の心に余裕がない中、

人間の持つ悪魔の心が、投げやりな言動に現れた時、

人を物のように思ってしまい、傷つけ、

周りは無関心になり、見て見ぬふりをする風土を作り上げる。

虐待は、チーム力のなさを表している。

 

働く愚痴はたくさん言えても

働く喜びを話せない。

それが虐待の始まりだと考えてみよう。

 

障がいでも高齢者でも、

虐待は起こる。

 

虐待のニュースを目にしたら、

必ずチームで話し合おう。

このニュースは、私たちの事ではないか、

私たちは、自分の心を殺して業務だけを行っていないか。

私たちは、利用者の事に無関心ではないか。

私たちは、利用者の心と身体を傷つけることをしていないか。

チームとして利用者の幸せを願っているか。

私たちのチームは、介護のプロ集団か。