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よっしいブログ  「お相撲好き」

「お相撲好き」

 

自分は小学5年で祖母と同居するようになって、

祖母の影響で相撲が大好きになった。

ちょうど「大鵬・柏戸時代の終わりごろ」だったか、

それからずっと相撲が好きだ。

 

小さなお相撲さんが好きだった。

鷲羽山、藤の川、寺尾、旭道山…

小兵ではないが、麒麟児と富士桜の取り組みは、いつも楽しみにしていた。

どちらかが力尽きるまでの突っ張り合いが、毎回繰り広げられるのが本当に凄かった。

 

50年を超える相撲好きだが、

どういう訳か、モンゴル出身の人が結構好きだ。

1992年に初めて来た新弟子6名の中の

旭鷲山、旭天鵬はずっと応援していた。

今でも審判席の旭天鵬を見てしまう。

 

朝青龍は、強かったし闘志むき出しで、ヒールな所が問題視されていたが、

それも含めてなんだか気になって好きだった。

白鵬は真面目な青年だったが、一人横綱になってから、

どんどんヒールになっていった。

自分は白鵬の優勝回数が50になることを願っていたが叶わなかった。

 

一人横綱は大変なのだ。きっと。

国技としての相撲界の全てを一人で請け負って行く歴史と重圧と期待が

のしかかってくる。その上日本人じゃないからと言われる。

半端じゃない。

 

そしてまた、モンゴル出身の一人横綱が引退した。

照ノ富士。

大関まで上り詰め、怪我や病気で序2段まで下がり、

2回目の相撲人生はただの一度も万全だったことが無かったろう。

それでも横綱にまでなり、10回の優勝を成した。

引退会見で

「激しい相撲人生」

「中途半端な気持ちと身体で、これ以上土俵に立つべきではない」

「限界を乗り越えてやりたいと思ったが出来なかった」

先に引退していた貴景勝が、解説中に

「照ノ富士関が一人横綱、自分が一人大関だった時が一番大変だった」

と言っていたのが印象的だった。

「燃え尽きた。 横綱を目指す体力と気力がなくなった」と言った貴景勝と、

目指す横綱を張り続けた照ノ富士の引退。

 

痛い所だらけの体で、誰にも負けない努力を続ける。

凄い世界があるのだ。

自分がなよなよと生きているこの時間に

誰にも負けない努力を続けている人たちが、きっと大勢、同じ時間を生きている。

 

ああ、もっと努力しよう。

中途半端な気持ちではなく、限界を乗り越えていく心を忘れず、

激しく生きた、と言える自分になれるよう、

もっと努力をしよう。

 

化粧まわしを付けたお相撲さんのイラスト

 

 

 

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