よっしいブログ
「介護保険料について」
介護保険料改定で、自治体によっては6,000円の差が出たとニュースで流れた。
一番高いのが大阪市で9,249円、一番安いのが東京都小笠原村で3,374円らしい。
高いベスト3は、共に大阪府で、守口市・門真市と続く。
大阪市の介護保険料の場合、2000年は2,911円、去年は6,225円、今年は9,249円だって。
我が大阪府河内長野市の場合、2000年は2,880円、去年は5,840円、今年は5,980円だ。
河内長野市のホームページには、「社会全体で介護保険を支えています」で始まり、
介護保険事業計画に定めたサービスの見込料に基づき、集められる保険料を算定し、収納することが必要な基準額が決まる。基準額をもとに、収入により支払額が決まると書いてあった。
だから、大阪市では1万円を超える人も多いだろう。
年金は増えないのだから、月に1万円近く払うのは、間違いなく高齢者の生活を圧迫する。
介護保険が始まってから2倍になった、3倍になった、が問題ではない気がする。
介護は、2000年以前は、家族が担ってきた。
主に嫁が寝たきりになった舅・姑の世話をしていた。
高齢化が進み、認知症になる高齢者が増えてきた。
1972年、有吉佐和子著「恍惚の人」が200万部を超えるベストセラーになり、認知症の人を抱える家族像が明らかになった。
その後、平均寿命が延びるにつれての高齢者増加・医療の進化などに伴う介護期間の長期化・核家族化・同居家族の高齢化などが社会問題となっていく。
個人の問題から社会の問題になってきた。
当時は、収容することが一番大事で、高齢者の尊厳など全く考えていない老人ホームが多かった。
紐でベッドにくくる、部屋に大人数を詰め込む、必要のない人におむつをつける、おむつを触らないようにつなぎ服を着せる、お風呂のときは裸にした高齢者を廊下に並べる、鳥に餌を与えるように介護者が3~4人の利用者の口にご飯を次々に入れていく…
その時代にはそんなことが悪いとも思わず、働く人は精一杯だったが、程度の低いケアが蔓延していた。
それでも家族は、自分たちの手を離れることを有難がっていた。
みんな精一杯だった。
日本では、多床室に高齢者を収容している時、
北欧の介護現場をみた介護関係者や政治家・学者が気づく。
高齢者は収容するものではなく、生活を支えていくものだと。
密室の介護を行う疲弊した家族・うつろな目をした老人ホームに収容された高齢者を救うのは社会全体だ、との気付きが生まれた。
そして2000年、高齢者の尊厳・プライド・生き方を守りながら、社会全体で支えて行こうと介護保険が始まった。
今更、介護を家庭に戻すことはできない。
子供が宝であるように、
高齢者は慰労され安心・安全に暮らせる社会が、
全ての人が暮らしやすい社会だ。
で、介護保険料はどんどん高くなっていく。
高齢者自体の生活を圧迫している。
地域格差も大きく、受けられるサービスも住んでいる場所で決まっていく。
国は、制度を造るのがうまい。
作るだけ作って国民に丸投げすることも多い。
自治体ごとに環境が違うから、自治体で保険料を決めろなんて無謀ではないかな。
国はもっと手厚く介護に関する自治体への補助をすべきではないか。と思う。
子供支援手当の資金を、平気に「医療保険の増額で」とか言っているのが国だ。
介護保険料が増えるのだって分かっていただろうに、無策で進んで来たのではないか。
せめて、どんどん増えていく高齢者の未来をきちんと見越して、介護保険を始めたんだと言ってくれないか。
国民は、従順に働き、税金を納めてきた。高齢になっても住み慣れたこの土地で暮らしたいと願っている。
選挙の1票の格差と同じぐらい慎重に、自治体間の格差をなくしてくれないか。
国民年金は月額7万円から下がる一方なのに、介護保険料が上がる一方ってどうなん。
ここは、政治の力ではないのか。
とニュースを聞いて思った。