よっしいブログ
「戦争の話」
大正生まれのご利用者と話をした。
「嫁に来たときは、こんな山奥に来たんや!と怖ろしかったよ」
「子供育てて、家族の世話して、戦争もあったもんなあ。長いこと生きたわ」
「戦争に出征していく人が決まると、みんなで千人針を縫ってな」
「駅に(出征を)見送りに行くとき、旗持って一所懸命振ったんや」
「戦争が終わってからは、街から電車で人が来るんや」
「田んぼをしてたから、米を分けて下さいって、着物とか持って来はる」
「最初は、分けてあげてたけど、キリがなくてなあ、断るようになったんよ」
「可哀そうやったんは、子供やな。大人が来ても断られるから、子供が来るんや。
痩せて、あんまり可哀そうやから、そこらに放ってある野菜なんかを持たせるんよ。可哀想でな」
「こんな小さな村でも兵隊で大勢死んだんよ」
ぽつぽつと話してくれた。
宅老所時代、15年ぐらい前は、何人ものご利用者が、毎日戦争の話をしてくれた。
近衛兵で天皇陛下を守っていた人。
満州で少尉として兵隊を動かしていた人。
2等兵で東南アジアへ行き、竹槍で現地人を殺した人。
飲食業をしていた為、戦艦に乗った時、船の料理人をしていた人。
戦争の話はしないと口を閉ざした人。
空襲の怖さ。
子供と一緒に疎開した人。
結婚後、満州に渡り、終戦後、夫・子供と逃げおおせた人。
サイレンが鳴ったら、いつでも防空壕へ逃げるねんけど、怖かったと言った人。
遠い町の方角が真っ赤になっていたと言った人。
本当にたくさんの戦争の話を聴いた。
それほど身近に戦争があった。
戦争が遠くなっていく。
身近な人の語り言葉が、無くなっていく。
戦争は、外国のテレビの中の出来事になっていく。
戦争を知らない私たちは、孫たちに何を話せばいいのか。
本当に、日本人が、戦争をして、多くの人が無惨に死んだんだよ。
私たちは、何を語って行けばいいんだろうなあ。