よっしいブログ
「お泊りを辞めた理由」
18年前に起業したときの事業所の名前は、「宅老所年年歳歳」だった。
家族がどうにも困ったときには、泊まれる場所にしようと思い、宅老所を名乗った。
起業の理由は、どこのデイサービスも受け入れてもらえない認知症の人が過ごせる場所を作ることだった。
9名定員で20人ほどの登録者。
私は、48歳で元気一杯、1~2週に1回ぐらいの泊りを自分が引き受けていた。
53歳ごろ、2軒目の小さなデイを開いた。
泊りは2件目に集約した。そのころから、長期で泊る人が出てきた。
毎日2~3人が泊っている。到底一人で全部の泊りはできないので、
土曜日とあと2回ぐらいは夜勤専門の人(とても信頼できるいい人だったなあ)を雇った。
他の日は時々社員に頼みながらも自分が泊っていた。
あの頃は、日勤もこなしていたので、本当によく働いた。
月500時間を超えて何年か働いた。
正月も仕事場で利用者2名と、おせちでお酒など頂きながら過ごしていたなあ。
57歳ごろ、2軒の小さなデイを畳んで30名定員の通常規模のデイを始めた。
登録者数は60名位になった。
人が増えると、要望も増える。
私たちは、宅老所時代を引きずり、利用者・家族の願いを叶えることが一番の仕事だと勘違いしていた。
その方針を変えずにお泊りを受けていたら、家族入院に伴う20日とか1ヶ月とかの長期が増えていった。
延長利用も増え、中には朝の7時から夜の9時半までなんていうヘビーな利用者もいた。
丁度デイサービスすみか寿になった時に、夜勤専門スタッフたちは辞めていたので、
私が週の4日、後の3日は正社員3名が泊る形で続けていた。
みんな疲弊するよね。
ぼろぼろにすり減った私は、生きているのか死んでいるのかさえ分からなくなり、平成30年年末(59歳)に壊れてしまった。
平成31年1月から、長期の泊りを断った。
でも、緊急時やショートが取れない場合に限りお泊りを続けていた。
長期泊りに頼っていた会社は、収入が激減した。
時間はかかったが、現在の「入浴・ライトリハビリ・リラクゼーション型」のデイサービスに変わった。
コロナ禍を境に、お泊りの利用者が3名ぐらい(月に3~4日)に減っていた。
去年、私は癌になった。
その年、何度も風邪やコロナに罹り、合計すると2か月余り寝込むことになった。
自分の中で「後10年」と期限を決めた。
10年で事業承継を進めていく、そのためにはスタッフにはデイサービスに全集中して欲しい。
自分が寝込んで分かったのだが、私ができる範囲でと思って行っていたお泊りのシワ寄せを、他の社員が受けていた。
そんな負の遺産を残すのはダメだよな~と考えた。
母が倒れたのを機にお泊りは全面的に止めた。
18年間、波がありつつも続けていたお泊りなので、未だに問い合わせがある。
中には情が湧いて「泊めてあげようか」と心が動く。
情で動くことは、「またみんなを疲弊の渦に巻き込むことなんだ」と思い直し、気を収めている。
今までうちで泊ってくれたみなさん。
たくさんの思い出をありがとうございました。
私の寝言やいびきでご迷惑をおかけしました。
うちで泊った夜が、家と変わらん普通の夜だったとしたら、
ほんと嬉しいな。