よっしいブログ
「ヤングケアラーってよく見る」
最近、よく見る言葉に「ヤングケアラー」がある。
【ヤングケアラーとは、家族の介護や家事、きょうだいの世話などを、本来大人であれば担うような責任を持って日常的に行っている18歳未満の子どもたちのこと。
ヤングケアラーは、本来であれば勉強や遊び、友人との交流など、子どもとしての時間を過ごすはずなのに、家族のケアのために自身の時間を犠牲にしている子どもたち。
ヤングケアラーは、社会的な認知度が低く、理解やサポートが十分に得られないという問題を抱えています。そのため、ヤングケアラーの存在を知ってもらう、理解を深める、支援体制を整備するといった取り組みが重要。(Gemini引用)】
昔から、親の代わりに牛乳配達や新聞配達をする子供たちはいた。
親の代わりに兄弟の面倒をみる子供たちも多かった。
家の仕事を手伝うのは普通だった。
ご利用者に子供の頃の話を聞いてみた。
「家に帰ったら、ずっと家の手伝いやった。水汲んで風呂沸かしたり、お使いに行ったり」
「家に帰ったら、下の子供を背負わされて、親の手伝いをしていた」
「貧しかったから、近所の仕事を手伝ってお金を稼いで家に入れてた」
「遊びに行っても、シジミやどじょうをとって親に渡してた」
田んぼや家業の手伝いは当たり前の時代・・・
戦後は国が貧しかったし、不便だったから子供の力は使って当たり前だった。
今は、便利で豊かになった。
それなのに家族の世話をする子供の割合は減らないし、注目されないのが問題なのだろう。
昭和は、良きにつけ悪しきにつけ人間関係が濃厚だった。
自分から言わなくても、周りの人々が知っているような、小さな社会で生きていた。
隣の子供にご飯を食べさせるのも当たり前なら、醤油の貸し借りなんて日常だった。
前回書いたような、社会のホワイト化が進み、薄いコミュニケーションが好まれるのなら、
ヤングケアラーの悩みは続くだろうな。
知らない、話さない、SOSが出せない、助けない。
まるでZOOMで対面しているように、近づかないし近づけない。
そんなホワイト化の社会だったら、少し怖い。
苦労話が笑って言えて、聞けば何か手伝えるような、小さな輪が重なるような社会だといいな。
子供は、宝。
ねえ、異次元の子育て政策で解決してよ。