

「介護事業所の廃業・倒産が増える訳」
理由は、2000年に介護事業を始めた人が、年を取ったから。
自分は2000年に老人ホームでパートを始めた。
措置制度から介護保険制度に変わり、介護現場は激動の時だった。
特養ではその頃、
4点柵が抜かれないよう紐でくくる。
自分でベッドを降りれ無いよう、ベッドの高さを一番高くする。
時間を決め(4時間)おむつ(布おむつ)交換をするため、
排泄し気持ち悪くておむつを触らないよう、鍵付きのつなぎパジャマを着せる。
入浴は、週に2回で服を脱がされて廊下に並べられた入居者を、
介助があれば普通の風呂に入れる人も男女の別なく、
順に特浴(寝て入る風呂)に入れていた。
ベッド上で食事をさせ、車いすから立ち上がらないよう紐でくくっていた。
そんな粗末な介護しかできない国だった。
それが全国の老人ホームで行われている日常だった。
本当にこれが、高齢者の生き方としていいのか。
寮母と呼ばれる介護を担う人々は、苦悩していた。
2000年に介護保険が始まり、誰(社会福祉法人以外)でも開業できることになった。
そして、一気に通所介護やヘルパー、ケアマネの事業所ができた。
2000年前後の介護現場を見てきて、
やむにやまれぬ思いがムクムクと沸き起こり、
自分で自分の目指す介護をするのだ。と、
次々に事業を立ち上げた。
あれから、25年が経つ。
介護保険は、化け物のように膨れ上がり、理解不能のものになった。
もう自分の分野を理解するので精一杯。
25年という時は、創業者を年寄りにしていく。
自分は48歳で自分の通所介護を目指して開業したが、
今は、66歳になった。
どこの事業所でも、次に引き受けてくれる人材がいないと、
廃業するしかない。
ゼロから1を作り上げるには、
「やむにやまれぬ、どうにかしないとという強烈な思いと情熱」
がないと出来ない。
それを継ぐ人に、創業者の思いのエキスを引き継いでもらうのは、難しい。
人生は100歳時代になり、死ぬに死ねない時代になった。
介護保険は、少ない人材で現場を回すために、監視カメラやセンサーマットを導入すれば人員を削減していいと言い出した。
センサーマットや監視カメラを設置することが、介護の質やご利用者の尊厳を護ることだと本当に考えているのか。
モニターを見て、マニュアルを手に、訴訟が起こらないよう行動することが求められている時代に、
目の前のお年寄りの幸せを護りたいと考えるのは時代錯誤なんだろうか。
介護とは、死にゆく人と共に生きて行くという事。
出来ないことを手助けしてその人らしく生きる今を支えるという事。
「今をこんな風に支えたい」という思いが無ければ、
ご利用者の幸せはどこにもないのではないかと思う。
全国のデイ、ヘルパー、ケアマネの思いは、一代限りで消えていくのだろうか。