よっしいブログ
「今日何した?」ってなんで聞くのか。
子供が幼稚園に通い始めたり、
小学校に上がったりしたら、
親達は、つい「今日何してきたの?」って聞く。
「お友達できた?」「楽しかった?」「給食食べた?」「何して遊んだ?」「何のお勉強したの?」「算数分かる?」
聞かれる方は、どう思っているのかを考えたことがあるだろうか。
親は不安で仕方ないのだろう。自分が不安なのだから聞いていいと思っている。悪気はない。
子供の返事で納得したり、ほっとしたいから質問する。
始めの頃は、子供も素直に教えてくれる。
だが、ある域を超えると生返事にならなかっただろうか。
子供だって、うんざりもするし、言いたくないことも増えるし、なんだか探ろうとする気持ちが分かって会話がつまらなくなる。
子供相手でも傾聴が必要だ。
子供が聞いて欲しいことを脈絡もなく喋るとき、親は傾聴する。だが、親はなかなかこの時間が待てない。
傾聴とは、相手の全人格に「関心を向け、相手の経験している世界を感じとるように、耳とこころを傾ける」こと。 ”長尾文雄「傾聴と共感」関西いのちの電話:2016:P.21”
質問攻めにすることは傾聴とは程遠いなあ(自分の後悔です)。
さて、認知症の高齢者の場合はどうだろう。
デイサービスを使い始めた頃、家族は不安だから、帰宅した本人に聞く。
「面白かった?」「楽しかった?」「何したの?」「ご飯食べた?」「お風呂入った?」…
本人は認知症だから、何を聞かれているか分からない。
オウム返しに「面白かった」「楽しかった」「何もしてない」「食べてない」「入ってない」…と答える。
認知症の人は否定形で返事する人が多い気がする。
「分からん」という人も多い。
さっきの事を忘れるのが認知症で、今日の出来事を話せたら認知症ではない。
分かっちゃいるけど、聞いちゃうんだろうな。
でも、探っちゃダメ。試してはいけない。
それが認知症の人との付き合い方のコツ。
例えば自分は、夫や妻や大人の子供が家に帰ってきたとき、
「お仕事楽しかった?」「お昼は食べた?」「同僚と仲良くできた?」「上司に叱られなかった?」…と聞いただろうか。
聞いたらきっと、「うるさい!!!」と怒鳴られるに違いないし、大人相手にそんなことは聞かない。
傾聴・傾聴。
声なき声を聴こう。
「お帰り、お疲れ様」