

「介護の生産性」
自分は、介護に生産性を持ち込むな、と考えていた。
介護は、ひとりの利用者にその場その場のスタッフがひとりの人間として向かい合い、
利用者の尊厳を護り、望む生活を実現の手伝いをする。
一人の労働者が、どれだけ物を早く多く作るといったような、効率よく荷物を運ぶといったような、
生産性と遠くかけ離れた分野だと思っていた。
2023年2月17日の「介護現場における生産性向上推進フォーラム」by厚労省が行われると知り、国の方向性を確かめたく視聴した。
第一回目の内容は、とても衝撃的なものだった。
宅老所からスタートし、自分なりの介護観を持って事業を行っていた事を、覆され、打ち砕かれる内容だった。
登壇者は、
「在宅生活には必ず終わりが来る、それを受け止めるのは施設だ」
(=在宅で暮らし続けるために地域包括ケアシステムを作ったんじゃなかったのか)
「経営者は、介護ロボットやICT導入という転換期に来ている」
(=個室にセンサーマットと暗視カメラ設置で、人員を減らせと言うのか)
「小さな事業者はいつまでやり続ける?いつやめる?」
(小さなデイで、良い介護ができるというエビデンスがないから必要ないとまで言われた)
「生産性向上は、エンドレスの仕組みである」
(=国がやると言ったらやらざるを得ないという締め付け?)
「マイナンバーカードに保険証を紐づけ、市役所もICT化すれば、市役所の事務員はいらなくなり、人が余る。市町村は老人施設の設置者になれるから、老人施設を作って余った人員を使えばいい。」
(=それは2000年以前に行われていた措置に逆戻りしていないか?)
「小さな事業所は潰れるから、行く当てのない老人を行政で助けていく日が必ず来る」
(=潰れること限定!)
なかなかエキサイティングな内容で、メモる手が震えていたのを覚えている。
登壇者の言葉で、絶対に忘れないぞと誓ったのは、
「マイナンバーカードなどを使えない人は機能低下している人、健常じゃない」
(=自分は交通系のカードが使えないから、健常じゃない人です)
「介護は、死に向かうサービス」
(=介護は、加齢や病気で諦めたりできない事が増えるけど、最後までその人らしく生きて行けるよう、今、この人を支えるサービスです!!)
最後の言葉は、「高度化推進をしろ」だった。
人は、生まれた時は100%介護を受けて生きている。
(赤ちゃんや幼児の世話をICT化しろとは言わないのにね。)
成長を続け、18年かかって大人になる。
大人になると、自己選択・自己実現を続け、自分で生きて行く。
仕事や家庭など、自分ですべてを決めて行い、人生の頂点に達する。
仕事が定年で終わり、子供が巣立ち、自分たちの人生の頂点を過ぎていく。
さあこれから、第2の人生、って思っているうちに健康寿命が終わる。
今まですべて自分で選んで行ってきたことが出来にくくなり、
人の手を借りないと暮らせなくなる。
ここで人は、一度人生を諦める。
「自分のやりたいことが、とうとう自由に出来なくなったか」と小さな諦め。
手助けがたくさん必要になったり、認知症になったりすると、
家族が介護に時間を取られ、疲れたり仕事に影響が出始めたり、
昼間にデイサービスを使って欲しいと頼まれる。
「家にいるのがいいけど、行きたくもないが、家族の為に行ってやろうか」と家で過ごすことをまた少し諦める。
介護の量が増えると、家族介護の限界と言われる時が来る。
家族が施設入所を決めてくる。
「ああ、とうとう、家にも居れなくなったか」と大きな諦めをする。
自分たちの所へ来てくれている人たちは、少なからず人生を諦めた人だ。
だからこそ、
ひとり一人の話を聴く。
ひとり一人を大切に、命の限り望む生活に近づけるよう、我々は努力をする。
数字に出来なくても、科学的ではないと否定されても、
泣いたり笑ったり、心配したり喜んだりすることを大切に大切に過ごしていく。
自分たちは、ご利用者の自分らしさを発揮してる姿を見ていたい。
例え認知症で暴れたとしても、一緒に居たいんだよと告げたい。
そこに介護のやりがいがある。
3度目になる「介護現場における生産性向上推進フォーラム」が3月にある。
去年は生産性向上に取り組む施設の紹介など、和らいだものだった。
今年も多分、生産性向上の最先端の施設紹介で終わるだろう。
第1回目のようなエキサイティングなものは見れないとしても、
国がどちらに向いて動いているのかを確認するためには、目を離せない。
小さな事業所には小さいなりの矜持がある。
「いつまで続ける気だ」と問われたら、
「在宅生活を続けたい人や家族がいる限り」と答える。
なにがなんでも潰れないぞと誓う日、それがフォーラムの日である。
まとめ
第1回のフォーラムを皆に聞かせてあげたかったな。
自分を燃え立たせてくれた登壇者に感謝する。
『うちのデイは絶対に潰さない!』